東日本大震災から人々は懸命に立ち上がろうとしている。時が経つにつれて、些細だがナーバスな問題も出てきて、簡単には立ち直れないのかなあ、長期戦になるなあ、と思うようなことがたくさん出てきた。コツコツとじっくり牛歩の歩みに耐えていかなくちゃならないと思う。閑散としていた大観光地松島の観光船乗り場も、夏の初めは「松島やカモメばかりの観光船」と散々だったが、秋には大分賑わいを見せ始めたようだ。とにかく地元の人々が一番喜ぶ援助は「行って、買って、話す」ことだと僕は言い続けている。
今年は山仲間と集って、夏には仙台の大東岳や泉ヶ岳に登つた。この時は地元の登山客との出会いも少なく、こんなときに山どころではないのかなあと気が重かったが、秋の栗駒登山では紅葉に誘われたのか大変な人出だった。僕らにとっては自然を通してのささやかな交流だったが、笑顔のハイタッチに出会えた。



若い頃は珍しい花が好きだった。新種とか改良種とかあるいは珍種など。個展ツバキやサツキもずいぶん種類を集めたが、たいてい新品種だった。新品種はまだ種として安定していないせいか、病気に弱かったり、根が弱かったり樹勢が安定しなかったりする。値段も高く(数年で値崩れする)もう少し待ってから買えばいいのだが、僕の場合「新しいうちが華」とばかり辛抱できない性分だった。
しかし最近は年のせいなのか、懐かしい花に引かれる。例えば子供のころに庭に咲いていた花などだ。グラジオラスとかポンポンダリアやケイトウなど。霜が降りる時期になると最後のダリアがつぼみのまま枯れてしまったりする。残りを仏さんの花瓶に差し、茎は刈り取って芋を掘り起こし来年の春まで、凍らないように貯蔵しておくのだった。
ツバキなどもシンプルなヤブツバキに心を動かされることが多い。ボタンのような豪華なものもいいが、なんだか圧倒されるようで、たじたじとしてしまうのである。侘び寂びの世界がわかってきたというよりは、単に年を取ったということだと思う。




花の球根で忘れられないのは高校の修学旅行のときに、北海道は登別の売店で買ったクロユリの球根だ。200円ぐらいだったかな。帰って家の庭の片隅に埋めた。翌年の春には忘れていたが、ふと思い出して庭石の横を見ると、クロユリと思われるゆり科特有の芽がつややかな光を放っていた。「ヤッター、ようこそ我が家へ!」という感じだった。「踏むな」と書いた札をそばに差した。我が家の花壇で唯一守るものが出来た。
夏、クロユリは紫がかった黒い花を数輪付けた。僕は庭石に腰掛けて他では話せない秘密の話をクロユリにした。クロユリは書け外の無い友達になった。同じ所で買ったのに、芽が出なかったという同級生が見に来た。父は「クロユリは幸運の花だ、大事にしなくちゃ」と言った。「ただね、北海道のものだから気候が暑すぎて来年はダメになるかもな」と付け加えた。
ところがクロユリはそれから毎年元気に花を咲かせたのである。僕が大学生になったある年、家の庭が解体された。中央に池を作ったりしたのだが、ふと気になり家に電話し、父にクロユリのことを尋ねた。父は「はて?クロユリはどうしたかなあ」ととぼけていたが、どうやら掘り返した土ともども捨ててしまったらしい。「庭師さんに任せてたもんだからなあ」などと言い訳をしていたが、もう僕の耳には入らなかった。「幸運を呼ぶ」なんて言っておきながら、、。
八ヶ岳や白山に夏の初めに行くとクロユリの群生が見られる。独特の暗い色の花が、この時ばかりと輝いているのに出会う。そんなクロユリもいいが、どこかしら秘密めいて人の話を聞いてくれそうなクロユリはなくなったなあと思う。



つづく
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